介護の道に進んだ理由④

私は生まれつきアトピー性皮膚炎を持っていました。アレルギー源は幸いにも食物アレルギーは無く、主に花粉やハウスダスト、動物の毛やノミなどでした。
そのため小学生の頃に皮膚科の医師に盲導犬訓練士に成れるかと尋ねましたが、「子供の頃からアトピーの人は大人になる頃には落ち着くことが多いから大丈夫だよ。」と言われていたため盲導犬訓練士をずっと夢見ていました。
ですが、成長し子供の頃よりはマシになったものの、高校生になっても未だに動物に触れない状態であったため、夢を諦めるしかないと理解します。

そのため高校卒業後の進路について考えていると、先生に「お前老人と関わるの好きなんだろ?なら介護の仕事をしてみたら良いんじゃないか?」とアドバイスを受けます。その後両親と相談し近くの介護の専門学校を見学し、気に入ったので卒業後入学しました。

入学後は座学と、実技、実習を通して介護について学び卒業後、今の会社に新卒で入社しました。もうすぐ入社して1年経つな~と考えていた頃大きな事件が起こります。
東日本大震災でした・・・
その日は出勤日で、私は多床室(4人部屋)の入り口付近でベッドメイキングをしていました。ベッドメイキングでは埃等が舞うため、換気のために大きな窓を開けて作業していたのです。
最初は小さな揺れでしたがすぐに大きくなり、立っているのが辛くなりました。しかし奥側(窓の近く)のベッドには利用者が臥床していたのですが、自身の揺れでベッドのロックが外れ動き出してしまったのです。
その上動き出したベッドの脇にある窓が、揺れで固定部分が破損しました。本来は30度程までしか開かない窓が、室内側に全開に開くようになってしまったのです。徐々にスイング幅が大きくなる窓を見て慌てた私は何とかベッドまで辿り着き、右手でベッドを引っ張りながら左手で窓を開かないように押さえつけていました。
今思えば時間にすれば2~3分程だったはずですが、当時の私には余裕が無い状態で半泣きで押さえているため10分以上も酷い揺れの中押さえている感覚でした。

揺れが収まった後他の職員が手伝いに来てくれたため、職員によって利用者がベッド毎窓から離れるまで窓を押さえていました。しかしいつまた揺れるか分からず、窓も手を離したらどうなるか分からない状態でいるのはとても怖かったのを覚えています。もしかしたら窓から手を離した瞬間に窓が落ちてくるかもしれないので・・・・

その後は職員で手分けして利用者とその人のベッドを全員分食堂へ運び、利用者の状態確認と施設内の状況・安全確認を行った。確認後は先輩たちは今後の対応について相談し、私たちは利用者の対応をしていました。
幸い利用者には大きなケガはなく非常電源もあったので最低限の明かりは確保できていました。
しかし食事・水分の備蓄が少なかったため手分けして町に買いに行ったり、家まで歩いて帰れる職員は歩いて帰り、家の備蓄の一部を提供したりして救援物資が来るまで対応していました。まぁ、それでも一番物資が少ない時は紙コップに半分程度のお粥と、梅干し半分とかでしたね。
だから物資が届いた時の感動と、アルファ米等の水でも戻せる食事への興奮は忘れられません。

さて。若干余談が入って長くなってしまいましたが、これで介護の道に進んだ理由は終わりですね。お付き合いいただきありがとうございました。
次は何について書きましょうか・・・

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